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異世界便り

〜日々のあれやこれ、サイト更新情報、雑記、ゲーム攻略など。〜
愛の行方 2019.10.09
怒りの矛先と想像力 2019.09.27
叩き潰してきたものたちの記録 2019.09.26
戻そうとして伸び悩む話 2019.09.25
件の彼の話 2019.09.24
手放したものを取り戻した時 2019.09.23
音楽の再開 2019.09.22

愛の行方

朝、通勤時にTwitterでぼんやり呟いたことをある程度整理しながら纏めておこうと思った。

異性から好きだと言われたことは二回ある。
どちらの時にも、何故、と訊いた。一方は「頑張っている所を見ていたらいつの間にか好きになっていた」とのこと。もう一方は「些細な言動や趣味の一致などが重なっていっていつのまにか」だという。
正直、彼らは一体何を言っているんだろう、と思った。

「好き」には沢山のものが込められているようだ。
分解されていないそれを貰っても、私には、よくわからない。
数多の人が自分の内に渦巻く感情をこねくりまわしてまとめて「好き」と表すのなら、私はそれをやりたくなくて、どうしても分解してバラバラにして「憧憬」「思慕」「愛欲」「情欲」「希求」「羨望」「嫉妬」「食欲」「被虐」「嗜虐」「慈愛」という名をそれぞれにつける。これはまだ簡潔にまとめた方だ。


昨日から考えていたことがある。
私は、文字列で「怒っている」「イライラしている」だけを見ると、とてつもなく不安になる。
二人目……件の彼だけれど、感情を細かく噛み砕いて表現することに慣れていないらしく、先述したようなツイートが目立った。その他のツイートにも、何かに対する苛立ちや嫌悪、高慢さ、論理的正しさの主張が散見され、刺々しいことこの上なかった。
数日前の記事にも記した通り、私は見事にそれに引き摺られ、軽率なツイートを繰り返した……遠ざけられてしまった意趣返しに、ちょっとそこは主張しておこうと思う。申し訳ないけれど。
彼には深く感謝している。それは事実だ。
だが、互いに不満があったのも事実だろう。
しかし、だ。それを「相性の問題」という言葉で片づけられるのは、非常に気に食わない。
とんだ根性なしである。ごめん本当にこの辺は文字に起こしても声に出しても言わせて欲しい、私も忘れたくないし。ほんと根性なし。勉学と仕事には根性突っ込めるのに対人がダメダメすぎる。殻に籠りすぎ。本音を出さなすぎ、言ってもわからんだろうけど言わねえと余計にわかんねえよ。優しい人を演じすぎ、それ、残酷だからね。その割に謎の我と積極性と行動力を発揮する。何なんだ。今考えると本当に意味不明過ぎる。
というかフルスロットルで元気な私をなんにも知らぬまま距離を置くとかちょっとよくわからない。全部見えた気になっているのか。呆れが天元突破しそう。私も彼のことをそんなに知らないままだから余計にね。
だけれど、そこがまた愛おしいのも事実だ。彼の持つどうしようもなさと、それを克服するために行ってきたであろう努力の垣間見える会話の引き出し方、その向こう側に見え隠れする繊細さに、そうっと触れて、優しく撫でたいと思う。いつでも。
感情に任せて荒れ狂う嵐の下にいつも居座る揺るぎない頑健な岩は、そういった気持ちで出来ている。魔術師ベルガラスなら動かしてみるだろうか。


……脱線しすぎた。話を元に戻そうか。
で、どうやら私は、思ったことをそのまま文章にする時は「何があって、何に対してどのように感じて、自分がどう思うようになれば/行動すれば楽になれるか」までを書きたがるようだ。想像の余地はなくて、己の心の中で起こっている事実を、ひたすらに書き留めているらしい。
ひとつ、己の心が抱えている問題をちゃんと解決するため。己が内の感情に名前を付けて恐れをなくしていくことで、心に整理がつけられる。
ふたつ、見た人が覚えるであろう不安の払拭、という側面もあるかもしれない。
その結果として生まれるのは、想像を掻き立てる文章ではなく、己にとっての事実を羅列して叩きつけるだけの説明だ。だからか、アドバイスをくれる人はいない(ここでいうアドバイスってのは自分の根幹に関わる精神的なもの)。
きっと私は、未来の展望(なりたい自分)(あるべき自分)まで含めて自分を見ている。世間にとっての正解じゃなくて、自分にとって誇れる自分。

件の彼や、Twitterで悩み続けている作家さんや、生きづらいと感じているであろう友人たちと、私を比べてみる。

「相手のよい反応」を軸に据えることは、難易度が高いが、崇高であると感じる。それだけ自分の満足感も大きいのだろう。
けれど、やっぱり最終目的を達成する過程でボロボロになって脱落していく人を大量に見掛ける。彼らは実現困難な幸福を求め、手に入れる前に、心が死んでしまってもいいのだろうか。
彼らの幸せを私は実現させられるのか。
楽になって欲しい。彼らの思う通りに笑って生きることが、今の私にとっては、最適解なんだろうか。
ひょっとしたら、それは「上手に愛すること」なのかもしれない。

……それは私の根幹に沿うものなのだろうか?
「(仕事はともかく)やりたくないならやらなくていい」というのは私の中では絶対で、今までずっとそれに従って生きてきたのだけれども、それは「やりたくもないことをやっている人」にとっては不幸の種でしかなくて、遠からず、死因になるかもしれない。

でも。
「うまくやっていくこと」は、本当に自分をしあわせにしてくれるのか?
「世界の出した正解」は、本当にあなたたちにとっての正解なのだろうか?
本当に?
それはあなたたちにとって本当の「愛」なのか?
己が真の望みすら曇って見えないわけでもなかろうに。


あなたたちの理想の方法で私があなたたちを愛すれば、あなたたちは満足なのか。
非常に残酷且つ残念だが、それは私ではない。あなたたちが己が内に生み出した幻想でしかない。
その理想を私に求めるのであれば、あなたたちは、私にはふさわしくない。

だが、今、人生の三分の一くらいは誰かに捧げてもいいと決心するに至った。
あなたたちの理想の方法であなたたちを愛することに残りの人生を注ぐくらい、わけないと思った。
揺るぎない己の芯が荒野に残っていることがわかったから、覚悟ができた。
己が根幹に沿わずとも。
私が半分死んでも、もう半分の私は生きている。
身体を労って健康に気を配り、好きなものを開拓し、興味を広げ、沢山の人と出会い、会話をし、表情を変える空の美しさに毎秒感動できる。私は、そういう自分を一番愛している。

次のステップへ進む時が来た。
私の心は、ようやっと十六歳から先へ進める。

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怒りの矛先と想像力

一応職場側から説明されてはいるが、これが何であるかを明言することは避けようと思う。何故なら私の予測にしかすぎないからだ。
我が職場には、諸々の事情ある人が、働いている。

頼んだことをすぐにするのは当たり前、という空気が存在している。スピードと正確さを求められる現場で、その時の優先順位を即座に判断することが求められている。
常時忙しい場所だから、多少ぞんざいな扱いを受けることもあるけれど、訊けば必ず教えてくれる。皆優しい。というか仕事だからそれが当たり前なのかもしれないけれど、色々な職場を経験してきた自分にとっては、かなりいい場所だ。
報告や連絡や相談といった行為がかなり苦手だと感じる私だけれど、全く難しくない。

ところで、その人は、同僚の派遣さんからは物凄く嫌われている。
頼んだことをすぐにやらない。できないわけではない。
誰かに言われるまで、自分がすべき仕事がそこにあることに気付かない。気付けないわけではない。
そのせいで同僚の女性陣はその人に不満をぶつけている。責任者の上司マンも頭を抱えている。その上は既に匙を投げている。
その人は完全に厄介者として扱われている。私だって何度も声を荒げた。
性格の悪さは治らない、と同僚はよく言う。
醸造される最悪な雰囲気の中でせかせかと仕事をする。凄く気分が悪い。私はわざと声を上げて笑いながら、可能な限りやんわりと、その人と話をしようと試みている。そうしたら、私の話は何とかその人の耳に入っていくようになったらしい。


その人は同僚に向かってこう言う。
「こちらのことを理解しようとしないのにあれこれうるさく言うのは間違っている」


その通りだと思った。
……私も、皆も、理解されないというその人の苦しみを想像したことがあったろうか?


正直言って、その人のことは全く好きではない。寧ろ生理的に無理なタイプだ。
だけれど、嫌いになり切れない。どうしてだろう。

他の人に向かって、ああしろこうしろとは、私は言わない。彼らには彼らの価値観がある。
でも、まずは私だけでもいいから、この「気分の悪さ」に疑問を持たないといけないのではないかと思った。というか、疑問を持った。その人は転職した方がいいだろうと思ったりもするけれど、その前に、何か大切なものを見落としているのではないか?
そこから、何か大切なことが見えてくるかもしれない。
ひょっとしたらそれが全てを変えていくかもしれない。

私は諦めたくない。
死にかけていた私がめりめりと音を立てて変わっていくのを感じる。

それを忘れないように記しておく。
私が忘れたら、誰かがこれを読んで、思い出させてくれることを願って。

叩き潰してきたものたちの記録

恥の多い人生を偲んで、私が幼い頃から並々ならぬ感情を抱いていた対象たちの記録を残しておこうと思う。
尚、当方、肉体は女、性自認は女、性的対象としているのは男性である。



漠然とした「好き」を抱いたのは四歳か五歳の時だったように思う。
隣の家の、同い年の男の子だった。小学校一年の時にいじめられるようになって、そこから一気に嫌悪へ。


小学校三年生の時、別のクラスに人気者の子がいるというのをよく聞いていた。私は一切そういうのに興味がなかった。
だが、四年生になって、その人気者の子と同じクラスになった。すごくいい顔をしていたから一発で惚れた。数度の席替えを経て彼が隣の席になった時から、突如親しくなった。彼は私と同じようにピアノを習っていた。共通点があった。下らないことをいっぱい喋っていっぱい笑った。私は最高に楽しかった。
だがしかし、冬あたりの給食の時間に悲劇は起こる。同じ班の別の男の子が、彼に向かって私の好きな人をバラしたのだ。彼はとても嫌そうな様子だった。私は消えてなくなりたかった。
でも、朝は変わらずドッジボールやろうぜって誘ってくれた。いいやつだった。殴り合い蹴り合いの喧嘩だって普通にしたけど本当にいいやつだった。しかしまあ年頃というものは容赦なく襲い掛かってくるものだ。六年生あたりから疎遠になり始めた。
私が私立中学に進学したことにより、全てが別世界になった。もう十五年以上会っていない。今はどうしているのだろう。
四年生当時の彼にとっては、私は親友枠だったんだろうか。今でもそんな風に思う。多分これが今の私に一番影響していると思う。何より一緒に遊べる親友でいられたことが嬉しかったのだと思う。


中学受験期に一瞬だけいいなあと思った男の子は、同じ塾に通っていた物腰柔らかで朗らかな子だったように思う。
しっかり覚えているけれど、接点が一切なかったので、特にこれといった思い出がない。一切ない。


中学生になってネトゲに出入りするようになると、顔を知らない友人が何人もできた。
色んな事情を抱えた友人たちだった。社会人、就職活動中、大学生、一つ上、一つ下。
日常をブログに記し始めたのもこの頃だ。このブログの初期の投稿はネトゲの記録で成り立っている。みんなと色んな世界を駆けまわって遊んだのはとても楽しかった。同時に、授業でホームページの作り方を学んだ中学のクラスメイトたちも、ブログに顔を出して、コメントをくれたりした。

……ネトゲ内の友人の恋愛事情に巻き込まれ出したのがきっかけだったろうか。
ブログに毎日コメントをくれる男の子がいた。年齢は私の一つ上だ。ゲーム内でも、この場所でも、彼は私に構ってくれて、時には落ち込んだ私を元気づけてくれた。当時、親とそりが合わなかった私には、それしか頼るものがないように感じていた。
ただ、彼が欲しいと思った。
私の犯した失態は過去の記事を参照してほしい。二〇一六年の十月あたりからが、そうだ。
もう、バカだったとしか言いようがない。
思い出すとしんどいし、苦笑いしか出てこない。周囲を巻き込んで大荒れに荒れて、人間関係が焦土と化した。
二ヶ月後くらいには元に戻った。それは、みんながとても優しかったからだ。

高校を卒業する頃には、その気持ちもすとんと落ち着いた。
芽吹いたものが育って、咲くことなく枯れた。
互いの本名も連絡先も知っているし、今も年一くらいで彼の誕生日あたりに私の方から連絡を入れたりしてみているけれど、未だに顔も知らない。
もうそろそろさよならを言ってもいいんじゃないかと思っている。つながっている理由が見当たらないのだ。
でも、あの時の気持ちは本物なのだ。忘れてはいない。
今はそう思わない、昔はそう思っていた、それだけだ。


大学生は穏やかに過ぎた。あれだけ練習していたピアノはやめていた。かわりにマンドリンを始めた。
西洋史とマンドリンと気の合う友人たちが沢山。出会いはうっすら欲しかったような気もするけれど、私は勉強と部活、友人と過ごす時間さえあれば、それだけでよかった。
本当に楽しかった。最高の四年間だった。
Twitterをやり始めたのもこの頃からだった。


社会人一年目、東京でADとして就職した私は、とんでもねえ御仁と出会った。
同時に付き合う彼女の人数は最大六名、呑んでいれば女の方から寄ってくるという凄まじい色男である。ついでに超有能。
だがしかし、言葉遣いは荒いし、軽く暴力は振るってくるし、何かと揶揄してくる。部下である私の扱いは雑だった。確か七歳くらい上だったような気がする。上司マンKである。
顔がいいのだ。顔がいいから見ているだけで結構美味しかったのは事実だ。

当時の私は、フリーランスのディレクターから「いつもビクビクしてる」と言われるくらい、自信のない様子だったらしい。
覚えることは多いし、帰れないし、半分寝ながら夜通し録画テープの取り込みを行ったり、撮影の小物を準備する為に深夜の六本木を駆けずり回ってドンキで買い物をする毎日だ。疲弊していた。コミュニケーション能力のある有能な同僚の横で、私は何度もミスをやらかした。上司マンKからもめちゃめちゃ怒られた。
でも、上司マンKはフォローも上手かった。べっこべこに凹んで泣いていた私に向かって、彼は、編集所からの帰りのタクシーで、こんなことを言った。

「お前は武士だ」
当時、同い年の同僚がふたりいた。
「あいつらみたいに愛嬌やコミュニケーション能力で仕事をしていくヤツじゃないだろ、でも、お前はあいつらより頭がいい。それを鍛えて鍛えて、鍛えていくんだよ」
今気付いたけれど、どう考えても武士ではなく剣士とかそういう類のものなのではないかと思える。いや武士でいいのか?
私の自尊心と優越感をくすぐり、心の奥底に自己肯定感を植え付けてくれたあの時のことは、忘れられない。一生忘れない。
私生活がどんだけクズでも、その人は、私の本質を見事に捉えて、私の欲しかった言葉を、一番必要としている時に言った。

勧められた映画を観た。「歩いても 歩いても」という題名だ。いい映画だった。雰囲気、奥行き、日常に息づいている郷愁と哀愁。
「雰囲気がよかった」っていうふんわりした感想しか伝えられなかったけれど、それがいいんだよな、っていうのを分かち合えた。
それが嬉しかった。
「わかる」ことを共有できたのは、その人が初めてだった。
「俺ら、似てるじゃん?」って言われた。趣味なんて一切被らないのに。歩んできた人生も全く違うのに。お前は何を言っているんだと思った。「でもお前、あの映画の良さがわかるんじゃん」って言われた。底なしの闇がすべて満たされたような気持になったのを覚えている。
渦巻いていた色々な感情は全部、私の心の中で叩き潰した。この人とは共にいられないだろうという確信があった。その先は確実に破滅の崖だという予想はついていた。ああいうのは端から見ているのが一番いいのだ。知っている。

今はどうしているだろう。フリーランスになって、結婚して一年で離婚したのは知っているけれど、もう会ってはいない。
フェイスブックに生息しているのは知っているけれど、私がログインしなくなったので、知らない。


(ここの箇所は27日に追記。うっかり忘れていたのだ)
上司マンKの下で働いていた時に、職場で一番仲が良かったのが、別部署の二つ年下の同僚君だった。
ヲタ趣味だということで気が合った。波長も合った。しんどい仕事だったから、事務所ですれ違う度に、互いに励まし合った。
一緒に映画を観に行ったりした。パシフィック・リム。超楽しかった。ちょくちょく二人で飲みに行ったりした。弱音を吐いた時にお互いに受け止め合えることが嬉しかった。私は完全に心を許していた。
三月末で退職することを決めてから、二十八日くらいに二人で遊びに行って、何か映画でも観た気がする。何だったか覚えていない。

帰宅してから、電話で自分の気持ちを告げた。
「親友としては最高だけれど、恋人としては見られない」
そう言われた。

後から考えると、私は別に、恋人が欲しかったわけではなかった。親友よりももう少し距離が近いところにいて欲しいだけだった。その気持ちを「好き」という語彙に突っ込んだのが間違いだったのかもしれない。
その後、二年くらいして、一回だけ一緒に飲んだ。その時、もうこの人とは二度と会わないだろうなあと思った。
そうして、それ以来会っていない。LINEの繋がりも、いつのまにかふっつりと消えた。
特に何か感じ入ることはなかった。そんな自分に驚いた。


二十五歳の時。接客業をやっていた時に、別部署の人にちょくちょく飲みに誘われた。そのうち何故か告白された。
「何か好きになっちゃった」らしい。その理由はやっぱり「わからない」。
付き合っていた人は、ちょっとつまらなかった。共通点がないのである。一致するような趣味もなかった。暫くして私が飽きて、自然と連絡を取らなくなった。

本当は、当時の私は、よく休憩室で本を読んでいる別の人が気になっていた。こっちを叩き潰さざるを得なくなった。
その人からオススメして貰った「オニキス」は積読になっている。可能ならこっちの彼にもう一度会いたいと思う。


二十六歳とか二十七歳の頃。
次は、おそらく態度には滲み出ていただろうが、誰にも言っていなかったことだ。
塾講師時代の可愛い同僚君である。夏の講習期間で地獄のような連勤スケジュールを共に組み、共に乗り越えた相棒である。
私のアパートの近くで、よく、長いこと立ち話をした。大体平成ライダーの話だった。そのへんは未視聴だったけれど、ただ話を聞いているだけで面白かった。彼は喋るのが上手い。弟みたいな存在だった。それ以上に何か感じることもあったような気がするけれど、私は芽生え始めようとしたものを片っ端から叩き潰した。
そのうち、同僚君は、同僚の女の子と付き合いだした。素直に応援できた。みんな、家族みたいなポジションだった。
今はどうしているだろう。二人の仲は、上手くいっているだろうか。


現在の私は、件の彼について記述した記事のとおりである。
今まで散々叩き潰して事なきを得てきたのに、うっかり育ててしまった。
上手く話せないのがもどかしかった。何を話していいのかわからなかった。共通点もあるのに、話題を探そうとして、ずっと真っ白な道を歩いているみたいだった。処女雪の上を。
公募原稿の締め切りがすぐそこまで迫っていたついでに、未知との遭遇が極まり過ぎて、発狂していた。
うまくいかなかった。

でも、長いこと触っていなかったピアノを弾こうと思ったのは、彼の家で電子ピアノに触れたからだ。
今日、塾講師時代の記憶を反芻していて、ふと、当時どういう風に人と話していたかを、思い出した。
他の講師と比べて私が沢山の生徒を受け持つことができていた理由を思い出した。
私は今、忘れかけていた自分をどんどん取り戻していく。
勢いで突っ走ることが殆どである私が、しっかり自分と向き合って思考を巡らせたが故だ。
その、考える、ということを教えてくれたのは、彼である。


幸い、私の心の中で、育てた花がそっと花弁を落として、確かな実を結びつつある。
その中では、もうすこしマシな花の咲く種が出来ている筈だ。

今はただ、話がしたい。なんでもない、日々の他愛ない話を。
ただ笑って。

戻そうとして伸び悩む話

Twitterでちょこちょこツイートするよりも、長い文章を考えながら書いて、一つの要素を含んだ段落を入れ替えたりする方が、もしかしたら物語を書く人間にとってはよいのかもしれないと思った。

毎日練習しておるおかげだろうか、ピアノの腕はある程度まで戻ってきた。多分ここから伸び悩むだろうというところまできた。まだ脱力が出来ていないから、ひたすらスケールを練習していると腕が怠くなる。ツェルニーをもう少しガツガツやるべきかもしれない。今は四十番の最初の方なのだけれど、教室をやめる直前はどうやら五十番の途中までやっていたみたいなので、指と腕を鍛え直さなければならないフェーズなんだろうなあと思うことにする。まともな音を鳴らせるようになるまで、曲をやるのをやめておくべきか……
十年間調律をやっていないピアノだから、まともな音もクソもないのだけれど。


「所持している楽譜に、ドビュッシーは主観的、ラヴェルは客観的、っていうコメントを見掛けた」というようなことを今朝がたTwitterで呟いたけれど、違っていた。

(前略、1905年から1908年までの3年間をさしている)――ラヴェルの第二期(完成期への到達時期)に当り、彼独自のスタイル……精巧緻密な構成によって、「感情表現」よりも「客観的描写」に徹する、という主知的な傾向が確立され、同じ印象派的手法でも音色の集合で茫漠とした雰囲気を創り出すドビュッシーとは大きく異なっております。
(ラヴェル ピアノ全集Ⅲ 和田則彦監修 ドレミ楽譜出版社)

ラヴェルは客観的、っていうのは正解だったけれど、別にドビュッシーが主観的ってわけじゃなかった。うっかり間違って覚えたらしい。
……ドビュッシーはつかみどころがないと仰っている。でもアラベスクとかベルガマスク組曲とかはまだ分かりやすいというか綺麗な気がする……私が好きなのもそこらへん。ミーハーだけれど、印象派は初期の作品が好き。


ラヴェルで特に好きなのはクープランの墓のメヌエット、ソナチネの第二楽章、メヌエット。
クープランの墓は戦死した友人たちの想い出に捧げる全六曲。こちらのメヌエットは、中間部分で大きく響いてくる深みのある和音が、非常に美しく、聴きごたえがある。
ソナチネの方のメヌエットは、歯磨き粉のCMにも使われていた優しくて美しい三拍子の曲だ。随分前のCMだけれど、聴いたことがある人もきっと多いと思う。

ところで私の持っているこの楽譜、監修者の編曲したボレロのソロ版が収録されている。
弾いてみたいと思って見てみたら、物凄く神経を使うことこの上ないアレンジだった。当分無理だろう。
まだまだラヴェルを弾けるまで腕が戻っていないので、当分弾くのはやめておこうかと思う。その前に古典をさらっておいた方がいいような気がしている。ベートーヴェンとかモーツァルトとか。

件の彼の話

タイトル通りである。文章にして、まだ記憶が新鮮なまま、今の気持ちを忘れないうちに、己の中にその像を定着させておこうと思った。
二度会って共に過ごした経験とSNSにおける文面から受けた印象、それに対して思っていること、感じたことをつらつらと取り留めなく垂れ流していこうと思う。


理の人である。そこは、生まれ持った特性も大いに影響しているのだろうと思う。論ずること、論理的な思考が非常に巧みであり、思考の回転も速い。特性を上手く伸ばすことのできた、非常に幸運な結果なのだろう、と思った。
おそらく私との間に偏差値の隔たりが二十くらいある気がする。私の頭が良くなりたい案件である。
ここは素直に悔しい。追いつきたくなる目標である。
当然のように現在形で言う。過去形ではない。


非常に自罰的である。もう少し後で述べるが、磨かれた対人スキルを駆使して接してくるので、一見したところは三枚目といった印象を受けがちだが、おそらく芯の部分は大きくかけ離れている。彼は、自身に対する自信が大きく欠如している。自己肯定感の低さが窺えた。本人の肉体の調子も相まって、不安定極まりない。
だからなのだろうか、SNSの発言は五割くらい不穏だったり刺々しかったりする。正直に言ってそれが一番きつかった。
私は他人の影響を非常に受けやすいタチだ。当然のように、引き摺られた。が、これは、私のメンタルがもっと強ければ、ちゃんと相手を慮って、受け止められた部分だろう。私に関しては、受け流し方や受け止め方を、しっかり獲得しておくべきだった。
原稿中だろうとどうだろうと、忘れてはいけなかった部分である。私は恋などというものをするとそういうことをきれいさっぱり忘れるので、恋愛などはもう一生やらない方がいい。するつもりもない。これで最後にしようと思っている。
するなら愛だ。独りよがりじゃない本物の愛情を獲得すべきなのだ。その道が遠い。


これは彼自身が自分から述べていたことなのだが、相手をよく見て、反応を予測して会話を上手く誘導していく……というのを癖づけているらしい。相手がどう出るか、相手がどう思うか、最善を模索する為に、シミュレーションを沢山重ねるのだそうだ。その予測が素早く行えるのは素直に凄いことだと思う。
生きてきた中で後天的に獲得したスキルなんじゃないかなあ、というのが私の見解。違うかもしれないけど。でも、相当苦労したんじゃないかと思う。それは間違いなく優しさの眷属だ。私が向けられた気持ちと原稿で発狂していたが故に、ズタボロに傷付けてしまった、彼の盾の部分でもあるのだろう。私はそれを破りかけた。

でも、私は問いかけたかった。あなたの中でシミュレーションを行っている時に現れていた私は、本当の私だった?
それは限りなく本物に近かったかもしれない。でも、それは、「本当の私」だった?
人生の主体を自分自身に置いている私にとって、彼の思考は、全く新しい価値観だった。同時に、他者を主軸として会話をしようとする彼の心が目も当てられない程にボロボロであることにも気付いた。
言動は優しいように思える。でも、それは、あなたが心から望んでやっていることなのか?
演出でも偽りでも構わないけれど、その方法は、本当にあなたを救うのか?
本当は、どうしたいの?


あなたは私と相対して何を思っただろう。それを言いたいと思うだろうか。
でも、話したくなければそのままでいい。好きにしていいんだ。もうちょっと自分中心で考えて自分自身をどんどん出していった方が人生は楽になると思うけれど。カウンセリングもやっていた恩人である数年前の上司氏が、私にくれたアドバイスである。受け売り。

そう……「僕がどうしたいのか聞かなかったですしね」というニュアンスの一文を投げられた。手元にある。
聞いてほしかった、受け止めてほしかったことがいっぱいあった……違う、あるのだろうと、今更ながら思う。
ただ、うん、うん、と頷いて、そうっと抱き締めるだけでいいのだろうか。
或いは洒落の利いた返事ができれば尚よいのだろうか。
そもそも、本当に私でよかったのだろうか。
どうして私だったのか。
どうして私を好きになったのか。理由は言って貰ったし、理解はできたけれど、今も「わからない」。
「わかりたい」。
でも私は彼じゃない。指先だけでも溶け合えたら或いは少しはわかったかもしれないけれど、不可能だ。
それだけが本当に悔しい。私は彼になれない。それが悲しい。

私が阿弥陀如来であれば解決した問題である。せいぜい弥勒菩薩の見習いの見習いの見習いレベルである。申し訳ない。
こんなことを言っても仕方がないのだけれど言いたくなる。真に主語が大きいとはこういうことだと思う。下らない話である。

私は、本当に大切なもの……己自身と己の言葉を、こうやって差し出すことしかできない。
忘れないように、色んな人に思い出してもらいたいから、こうやって誰でも見えるところに書いておく。


色々な人から言われるけれども、私はどうやら、ふんわりと物事の本質を掴み取るのが得手らしい。そうして、隠れている「本当に大切だと思われるもの」を容赦なく引きずり出して白日の下に晒すというのが、自分の創作によく現れている。そういう自覚がある。
でも、私がそんなことをしたら、今度こそ、色々な人を巻き込んで、周囲の皆の心が焦土と化し、色々な意味で草も生えない更地になるだろう。やってやってもいいけれど、というか寧ろやりたいけれど、彼の心が死んでしまうかもしれない。私はそれを望んでいない。

少しでも彼の心が救われることを願ってやまない。
それをするのが私であるなら、尚、よい。
そうしたい。
どうしたらいいのだろう。

……私、Sirdiannaでこんな感じのやりとりを書いたな。


まだ時間をおいても、間に合うだろうか。
どうか間に合ってくれ。

手放したものを取り戻した時

一昨日ぶっ壊したキッチンの水栓をまるっと取り換える為、午前は両親と業者の方の来訪を受けた。それまでちょっと暇だったのでピアノを弾いていた。
午後はうっかり昼寝をしてからWeb小説を2本ほど読み、手持ち無沙汰になった夕方、手慣らしにラヴェルの中から何か手に馴染んだ曲を弾いてこようと練習室へ。ちょっと興が乗って、かつて最高潮に腕がのっていた時にサロンコンサートで弾いた曲……ラフマニノフの前奏曲を引っ張り出して譜面を読んでみたら、これがまあ面倒なことこの上なかった。勇壮な船が海原をゆくような印象を与える第二番。高校生の私はどうしてこんなものが弾けたんだろうと思いながら、今の私は途方に暮れている。ここまでの力を取り戻せるだろうか。答えは一つ、やるしかない。因みに「鐘」は大好きだ。
大好きなドビュッシーのアラベスク二曲やベルガマスク組曲は、少しずつ指が回るようになってきた。此方の攻略もせねばなるまい。ベルガマスクとベルガリアードってちょっと似ているような気がする。
しかし、正しく弾けば弾くほどに成長を感じられる「楽器」というものは、とても良い相棒だ。誰かに披露する機会があれば、なおさら良い。ブランクは開いてしまったけれども、幼少期から十二年間にわたってクラシック一本で多少専門的な訓練を受けていたのは、大いなる幸運だったと思う。


ところで、棚の中の楽譜を漁っていたら、十代の頃に作詞作曲した歌を発見した。

歌詞案1

歌詞案2

今作っているものの方が言葉選びは洗練されているのは明らかだけれど、コンセプトが変わっていないのがミソだと思う。再会を信じる明るい別れネタ率の高さが異常。私の根幹が何ら変わっていない証明である。きっと変わらなくていいところだと思う。
黄色い紙にうっかり書いた方はどんな旋律を付けたのか全く解読できない。しかし、十年前の私には音符で書くという行為をして欲しかった。十年後の私がちょっとリライトしてネットの海に放流したいと考える可能性をまるっと無視している。
取り敢えず今は数日前にできた曲の伴奏を考えたいのだ。


……こういうことをしていると、気を紛らわせているだけなのかもしれない、痛々しい傷に向き合って治そうとしていないんじゃないか、と、私の中で何かが囁いている。
だけれど、これは必要な事なのだ、という芯のある声も、同時に聞こえてくる。
己の心を癒すものは多ければ多いほどいい。自分の中で「これは練習したらうまくできる、或いはできていた」と思えるようなことがあってよかったと思う。多すぎて手が回っていない気もするけれど。

「する」が「できた」になった時。
それは己を肯定し、生きる糧となる。
前を向いた時に生まれる勇気や愛や力が、私の中に「他者への思いやり」を生み出す筈だと信じている。

どうやら私は立ち上がることができたらしい。もうすぐ歩けるようになるだろう。考えていたよりも早かったかもしれない。
そうしたら、最後の仕上げとして、京都の安井金毘羅へ参ろうと考えている。

音楽の再開

ピアノを練習している時に、ふと横の楽譜棚の上にあったリコーダーが目に留まった。
吹いたら凄く楽しかった。
そして昨日、ケルト系の音楽を吹いてみたいと思った。
Amazonで検索したら千円でそれっぽい笛が買えるじゃないか。

whi


そういうわけでティンホイッスルを始めた。これはD管。
ちょっと慣れてきたらC管も欲しい。
これは完全に自慢なのだけれど、五歳からピアノを習っていたおかげだろう、小学校三年生で与えられたリコーダーをその日のうちにサクッとマスターした私だから、穴の少ない笛が吹けないなんてことはないと思っている。
人に聴かせられる程度には上手くなりたい。幸い、練習という行為は己の身体に馴染んでいるので、後は研鑽あるのみ。

トラッドとかその辺の楽譜も欲しいなと思っていたらとってもいいサイトを見つけた。

ケルトの笛屋さん
https://celtnofue.com/

聴いたことある曲の楽譜がいっぱいある!
というか寧ろ多すぎる。全部網羅する……のはちょっと気力が足りないかもしれない。

何せ今の私は身体の周りにやりたいことが大量に積まれている状態だ。放置されたままのプロットは十本を超えたし、書いている途中の物語は四本あるし、ピアノはやりたいし、最近作った歌のピアノ伴奏だって方向性が定まってきたから打ち込みたいし、次の公募もあるし、描きたい絵の構図も脳内に幾つか展開されているし、積読は死ぬ程あるし、なんて言ったって十一月に控えている文フリの準備があるのだ。
本当は落ち込んでいる時間などないのである。畜生めである。私が怒りを覚えるのはそういう時だ。というか冷静に考えたら八月頭からずっと何かへの怒りが共に在ったような気がする……漠然とした生と世界への不満が、ここにきてターゲットを見付けてしまった、といったところだろうか。そうして、その隙間で申し訳なさとどうしようもなさに襲われる。この全てを上手く相手の望む愛情に変換する機構が、どうやらおかしくなってしまったらしい。
吐きどころがTwitterじゃなくてブログになっただけじゃないかって自分でも思うけれど、それでも、長文にしたためることで冷静さを獲得し、Twitterで吐くよりも心の整理がきちんと出来ているような気はする。

取り敢えず、壊れかけた変換装置が直るまで、まだまだ時間が掛かりそうだ。十三年前も時間が解決してくれたような気がする。多分二ヶ月くらいだったかな。
文フリでは復活していると思う、もうちょっとだけ成長した状態で。