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異世界便り

〜日々のあれやこれ、サイト更新情報、雑記、ゲーム攻略など。〜
愛の行方 2019.10.09
怒りの矛先と想像力 2019.09.27
叩き潰してきたものたちの記録 2019.09.26
戻そうとして伸び悩む話 2019.09.25
件の彼の話 2019.09.24
手放したものを取り戻した時 2019.09.23
音楽の再開 2019.09.22

怒りの矛先と想像力

一応職場側から説明されてはいるが、これが何であるかを明言することは避けようと思う。何故なら私の予測にしかすぎないからだ。
我が職場には、諸々の事情ある人が、働いている。

頼んだことをすぐにするのは当たり前、という空気が存在している。スピードと正確さを求められる現場で、その時の優先順位を即座に判断することが求められている。
常時忙しい場所だから、多少ぞんざいな扱いを受けることもあるけれど、訊けば必ず教えてくれる。皆優しい。というか仕事だからそれが当たり前なのかもしれないけれど、色々な職場を経験してきた自分にとっては、かなりいい場所だ。
報告や連絡や相談といった行為がかなり苦手だと感じる私だけれど、全く難しくない。

ところで、その人は、同僚の派遣さんからは物凄く嫌われている。
頼んだことをすぐにやらない。できないわけではない。
誰かに言われるまで、自分がすべき仕事がそこにあることに気付かない。気付けないわけではない。
そのせいで同僚の女性陣はその人に不満をぶつけている。責任者の上司マンも頭を抱えている。その上は既に匙を投げている。
その人は完全に厄介者として扱われている。私だって何度も声を荒げた。
性格の悪さは治らない、と同僚はよく言う。
醸造される最悪な雰囲気の中でせかせかと仕事をする。凄く気分が悪い。私はわざと声を上げて笑いながら、可能な限りやんわりと、その人と話をしようと試みている。そうしたら、私の話は何とかその人の耳に入っていくようになったらしい。


その人は同僚に向かってこう言う。
「こちらのことを理解しようとしないのにあれこれうるさく言うのは間違っている」


その通りだと思った。
……私も、皆も、理解されないというその人の苦しみを想像したことがあったろうか?


正直言って、その人のことは全く好きではない。寧ろ生理的に無理なタイプだ。
だけれど、嫌いになり切れない。どうしてだろう。

他の人に向かって、ああしろこうしろとは、私は言わない。彼らには彼らの価値観がある。
でも、まずは私だけでもいいから、この「気分の悪さ」に疑問を持たないといけないのではないかと思った。というか、疑問を持った。その人は転職した方がいいだろうと思ったりもするけれど、その前に、何か大切なものを見落としているのではないか?
そこから、何か大切なことが見えてくるかもしれない。
ひょっとしたらそれが全てを変えていくかもしれない。

私は諦めたくない。
死にかけていた私がめりめりと音を立てて変わっていくのを感じる。

それを忘れないように記しておく。
私が忘れたら、誰かがこれを読んで、思い出させてくれることを願って。

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叩き潰してきたものたちの記録

恥の多い人生を偲んで、私が幼い頃から並々ならぬ感情を抱いていた対象たちの記録を残しておこうと思う。
尚、当方、肉体は女、性自認は女、性的対象としているのは男性である。



漠然とした「好き」を抱いたのは四歳か五歳の時だったように思う。
隣の家の、同い年の男の子だった。小学校一年の時にいじめられるようになって、そこから一気に嫌悪へ。


小学校三年生の時、別のクラスに人気者の子がいるというのをよく聞いていた。私は一切そういうのに興味がなかった。
だが、四年生になって、その人気者の子と同じクラスになった。すごくいい顔をしていたから一発で惚れた。数度の席替えを経て彼が隣の席になった時から、突如親しくなった。彼は私と同じようにピアノを習っていた。共通点があった。下らないことをいっぱい喋っていっぱい笑った。私は最高に楽しかった。
だがしかし、冬あたりの給食の時間に悲劇は起こる。同じ班の別の男の子が、彼に向かって私の好きな人をバラしたのだ。彼はとても嫌そうな様子だった。私は消えてなくなりたかった。
でも、朝は変わらずドッジボールやろうぜって誘ってくれた。いいやつだった。殴り合い蹴り合いの喧嘩だって普通にしたけど本当にいいやつだった。しかしまあ年頃というものは容赦なく襲い掛かってくるものだ。六年生あたりから疎遠になり始めた。
私が私立中学に進学したことにより、全てが別世界になった。もう十五年以上会っていない。今はどうしているのだろう。
四年生当時の彼にとっては、私は親友枠だったんだろうか。今でもそんな風に思う。多分これが今の私に一番影響していると思う。何より一緒に遊べる親友でいられたことが嬉しかったのだと思う。


中学受験期に一瞬だけいいなあと思った男の子は、同じ塾に通っていた物腰柔らかで朗らかな子だったように思う。
しっかり覚えているけれど、接点が一切なかったので、特にこれといった思い出がない。一切ない。


中学生になってネトゲに出入りするようになると、顔を知らない友人が何人もできた。
色んな事情を抱えた友人たちだった。社会人、就職活動中、大学生、一つ上、一つ下。
日常をブログに記し始めたのもこの頃だ。このブログの初期の投稿はネトゲの記録で成り立っている。みんなと色んな世界を駆けまわって遊んだのはとても楽しかった。同時に、授業でホームページの作り方を学んだ中学のクラスメイトたちも、ブログに顔を出して、コメントをくれたりした。

……ネトゲ内の友人の恋愛事情に巻き込まれ出したのがきっかけだったろうか。
ブログに毎日コメントをくれる男の子がいた。年齢は私の一つ上だ。ゲーム内でも、この場所でも、彼は私に構ってくれて、時には落ち込んだ私を元気づけてくれた。当時、親とそりが合わなかった私には、それしか頼るものがないように感じていた。
ただ、彼が欲しいと思った。
私の犯した失態は過去の記事を参照してほしい。二〇一六年の十月あたりからが、そうだ。
もう、バカだったとしか言いようがない。
思い出すとしんどいし、苦笑いしか出てこない。周囲を巻き込んで大荒れに荒れて、人間関係が焦土と化した。
二ヶ月後くらいには元に戻った。それは、みんながとても優しかったからだ。

高校を卒業する頃には、その気持ちもすとんと落ち着いた。
芽吹いたものが育って、咲くことなく枯れた。
互いの本名も連絡先も知っているし、今も年一くらいで彼の誕生日あたりに私の方から連絡を入れたりしてみているけれど、未だに顔も知らない。
もうそろそろさよならを言ってもいいんじゃないかと思っている。つながっている理由が見当たらないのだ。
でも、あの時の気持ちは本物なのだ。忘れてはいない。
今はそう思わない、昔はそう思っていた、それだけだ。


大学生は穏やかに過ぎた。あれだけ練習していたピアノはやめていた。かわりにマンドリンを始めた。
西洋史とマンドリンと気の合う友人たちが沢山。出会いはうっすら欲しかったような気もするけれど、私は勉強と部活、友人と過ごす時間さえあれば、それだけでよかった。
本当に楽しかった。最高の四年間だった。
Twitterをやり始めたのもこの頃からだった。


社会人一年目、東京でADとして就職した私は、とんでもねえ御仁と出会った。
同時に付き合う彼女の人数は最大六名、呑んでいれば女の方から寄ってくるという凄まじい色男である。ついでに超有能。
だがしかし、言葉遣いは荒いし、軽く暴力は振るってくるし、何かと揶揄してくる。部下である私の扱いは雑だった。確か七歳くらい上だったような気がする。上司マンKである。
顔がいいのだ。顔がいいから見ているだけで結構美味しかったのは事実だ。

当時の私は、フリーランスのディレクターから「いつもビクビクしてる」と言われるくらい、自信のない様子だったらしい。
覚えることは多いし、帰れないし、半分寝ながら夜通し録画テープの取り込みを行ったり、撮影の小物を準備する為に深夜の六本木を駆けずり回ってドンキで買い物をする毎日だ。疲弊していた。コミュニケーション能力のある有能な同僚の横で、私は何度もミスをやらかした。上司マンKからもめちゃめちゃ怒られた。
でも、上司マンKはフォローも上手かった。べっこべこに凹んで泣いていた私に向かって、彼は、編集所からの帰りのタクシーで、こんなことを言った。

「お前は武士だ」
当時、同い年の同僚がふたりいた。
「あいつらみたいに愛嬌やコミュニケーション能力で仕事をしていくヤツじゃないだろ、でも、お前はあいつらより頭がいい。それを鍛えて鍛えて、鍛えていくんだよ」
今気付いたけれど、どう考えても武士ではなく剣士とかそういう類のものなのではないかと思える。いや武士でいいのか?
私の自尊心と優越感をくすぐり、心の奥底に自己肯定感を植え付けてくれたあの時のことは、忘れられない。一生忘れない。
私生活がどんだけクズでも、その人は、私の本質を見事に捉えて、私の欲しかった言葉を、一番必要としている時に言った。

勧められた映画を観た。「歩いても 歩いても」という題名だ。いい映画だった。雰囲気、奥行き、日常に息づいている郷愁と哀愁。
「雰囲気がよかった」っていうふんわりした感想しか伝えられなかったけれど、それがいいんだよな、っていうのを分かち合えた。
それが嬉しかった。
「わかる」ことを共有できたのは、その人が初めてだった。
「俺ら、似てるじゃん?」って言われた。趣味なんて一切被らないのに。歩んできた人生も全く違うのに。お前は何を言っているんだと思った。「でもお前、あの映画の良さがわかるんじゃん」って言われた。底なしの闇がすべて満たされたような気持になったのを覚えている。
渦巻いていた色々な感情は全部、私の心の中で叩き潰した。この人とは共にいられないだろうという確信があった。その先は確実に破滅の崖だという予想はついていた。ああいうのは端から見ているのが一番いいのだ。知っている。

今はどうしているだろう。フリーランスになって、結婚して一年で離婚したのは知っているけれど、もう会ってはいない。
フェイスブックに生息しているのは知っているけれど、私がログインしなくなったので、知らない。


(ここの箇所は27日に追記。うっかり忘れていたのだ)
上司マンKの下で働いていた時に、職場で一番仲が良かったのが、別部署の二つ年下の同僚君だった。
ヲタ趣味だということで気が合った。波長も合った。しんどい仕事だったから、事務所ですれ違う度に、互いに励まし合った。
一緒に映画を観に行ったりした。パシフィック・リム。超楽しかった。ちょくちょく二人で飲みに行ったりした。弱音を吐いた時にお互いに受け止め合えることが嬉しかった。私は完全に心を許していた。
三月末で退職することを決めてから、二十八日くらいに二人で遊びに行って、何か映画でも観た気がする。何だったか覚えていない。

帰宅してから、電話で自分の気持ちを告げた。
「親友としては最高だけれど、恋人としては見られない」
そう言われた。

後から考えると、私は別に、恋人が欲しかったわけではなかった。親友よりももう少し距離が近いところにいて欲しいだけだった。その気持ちを「好き」という語彙に突っ込んだのが間違いだったのかもしれない。
その後、二年くらいして、一回だけ一緒に飲んだ。その時、もうこの人とは二度と会わないだろうなあと思った。
そうして、それ以来会っていない。LINEの繋がりも、いつのまにかふっつりと消えた。
特に何か感じ入ることはなかった。そんな自分に驚いた。


二十五歳の時。接客業をやっていた時に、別部署の人にちょくちょく飲みに誘われた。そのうち何故か告白された。
「何か好きになっちゃった」らしい。その理由はやっぱり「わからない」。
付き合っていた人は、ちょっとつまらなかった。共通点がないのである。一致するような趣味もなかった。暫くして私が飽きて、自然と連絡を取らなくなった。

本当は、当時の私は、よく休憩室で本を読んでいる別の人が気になっていた。こっちを叩き潰さざるを得なくなった。
その人からオススメして貰った「オニキス」は積読になっている。可能ならこっちの彼にもう一度会いたいと思う。


二十六歳とか二十七歳の頃。
次は、おそらく態度には滲み出ていただろうが、誰にも言っていなかったことだ。
塾講師時代の可愛い同僚君である。夏の講習期間で地獄のような連勤スケジュールを共に組み、共に乗り越えた相棒である。
私のアパートの近くで、よく、長いこと立ち話をした。大体平成ライダーの話だった。そのへんは未視聴だったけれど、ただ話を聞いているだけで面白かった。彼は喋るのが上手い。弟みたいな存在だった。それ以上に何か感じることもあったような気がするけれど、私は芽生え始めようとしたものを片っ端から叩き潰した。
そのうち、同僚君は、同僚の女の子と付き合いだした。素直に応援できた。みんな、家族みたいなポジションだった。
今はどうしているだろう。二人の仲は、上手くいっているだろうか。


現在の私は、件の彼について記述した記事のとおりである。
今まで散々叩き潰して事なきを得てきたのに、うっかり育ててしまった。
上手く話せないのがもどかしかった。何を話していいのかわからなかった。共通点もあるのに、話題を探そうとして、ずっと真っ白な道を歩いているみたいだった。処女雪の上を。
公募原稿の締め切りがすぐそこまで迫っていたついでに、未知との遭遇が極まり過ぎて、発狂していた。
うまくいかなかった。

でも、長いこと触っていなかったピアノを弾こうと思ったのは、彼の家で電子ピアノに触れたからだ。
今日、塾講師時代の記憶を反芻していて、ふと、当時どういう風に人と話していたかを、思い出した。
他の講師と比べて私が沢山の生徒を受け持つことができていた理由を思い出した。
私は今、忘れかけていた自分をどんどん取り戻していく。
勢いで突っ走ることが殆どである私が、しっかり自分と向き合って思考を巡らせたが故だ。
その、考える、ということを教えてくれたのは、彼である。


幸い、私の心の中で、育てた花がそっと花弁を落として、確かな実を結びつつある。
その中では、もうすこしマシな花の咲く種が出来ている筈だ。

今はただ、話がしたい。なんでもない、日々の他愛ない話を。
ただ笑って。

戻そうとして伸び悩む話

Twitterでちょこちょこツイートするよりも、長い文章を考えながら書いて、一つの要素を含んだ段落を入れ替えたりする方が、もしかしたら物語を書く人間にとってはよいのかもしれないと思った。

毎日練習しておるおかげだろうか、ピアノの腕はある程度まで戻ってきた。多分ここから伸び悩むだろうというところまできた。まだ脱力が出来ていないから、ひたすらスケールを練習していると腕が怠くなる。ツェルニーをもう少しガツガツやるべきかもしれない。今は四十番の最初の方なのだけれど、教室をやめる直前はどうやら五十番の途中までやっていたみたいなので、指と腕を鍛え直さなければならないフェーズなんだろうなあと思うことにする。まともな音を鳴らせるようになるまで、曲をやるのをやめておくべきか……
十年間調律をやっていないピアノだから、まともな音もクソもないのだけれど。


「所持している楽譜に、ドビュッシーは主観的、ラヴェルは客観的、っていうコメントを見掛けた」というようなことを今朝がたTwitterで呟いたけれど、違っていた。

(前略、1905年から1908年までの3年間をさしている)――ラヴェルの第二期(完成期への到達時期)に当り、彼独自のスタイル……精巧緻密な構成によって、「感情表現」よりも「客観的描写」に徹する、という主知的な傾向が確立され、同じ印象派的手法でも音色の集合で茫漠とした雰囲気を創り出すドビュッシーとは大きく異なっております。
(ラヴェル ピアノ全集Ⅲ 和田則彦監修 ドレミ楽譜出版社)

ラヴェルは客観的、っていうのは正解だったけれど、別にドビュッシーが主観的ってわけじゃなかった。うっかり間違って覚えたらしい。
……ドビュッシーはつかみどころがないと仰っている。でもアラベスクとかベルガマスク組曲とかはまだ分かりやすいというか綺麗な気がする……私が好きなのもそこらへん。ミーハーだけれど、印象派は初期の作品が好き。


ラヴェルで特に好きなのはクープランの墓のメヌエット、ソナチネの第二楽章、メヌエット。
クープランの墓は戦死した友人たちの想い出に捧げる全六曲。こちらのメヌエットは、中間部分で大きく響いてくる深みのある和音が、非常に美しく、聴きごたえがある。
ソナチネの方のメヌエットは、歯磨き粉のCMにも使われていた優しくて美しい三拍子の曲だ。随分前のCMだけれど、聴いたことがある人もきっと多いと思う。

ところで私の持っているこの楽譜、監修者の編曲したボレロのソロ版が収録されている。
弾いてみたいと思って見てみたら、物凄く神経を使うことこの上ないアレンジだった。当分無理だろう。
まだまだラヴェルを弾けるまで腕が戻っていないので、当分弾くのはやめておこうかと思う。その前に古典をさらっておいた方がいいような気がしている。ベートーヴェンとかモーツァルトとか。

件の彼の話

タイトル通りである。文章にして、まだ記憶が新鮮なまま、今の気持ちを忘れないうちに、己の中にその像を定着させておこうと思った。
二度会って共に過ごした経験とSNSにおける文面から受けた印象、それに対して思っていること、感じたことをつらつらと取り留めなく垂れ流していこうと思う。


理の人である。そこは、生まれ持った特性も大いに影響しているのだろうと思う。論ずること、論理的な思考が非常に巧みであり、思考の回転も速い。特性を上手く伸ばすことのできた、非常に幸運な結果なのだろう、と思った。
おそらく私との間に偏差値の隔たりが二十くらいある気がする。私の頭が良くなりたい案件である。
ここは素直に悔しい。追いつきたくなる目標である。
当然のように現在形で言う。過去形ではない。


非常に自罰的である。もう少し後で述べるが、磨かれた対人スキルを駆使して接してくるので、一見したところは三枚目といった印象を受けがちだが、おそらく芯の部分は大きくかけ離れている。彼は、自身に対する自信が大きく欠如している。自己肯定感の低さが窺えた。本人の肉体の調子も相まって、不安定極まりない。
だからなのだろうか、SNSの発言は五割くらい不穏だったり刺々しかったりする。正直に言ってそれが一番きつかった。
私は他人の影響を非常に受けやすいタチだ。当然のように、引き摺られた。が、これは、私のメンタルがもっと強ければ、ちゃんと相手を慮って、受け止められた部分だろう。私に関しては、受け流し方や受け止め方を、しっかり獲得しておくべきだった。
原稿中だろうとどうだろうと、忘れてはいけなかった部分である。私は恋などというものをするとそういうことをきれいさっぱり忘れるので、恋愛などはもう一生やらない方がいい。するつもりもない。これで最後にしようと思っている。
するなら愛だ。独りよがりじゃない本物の愛情を獲得すべきなのだ。その道が遠い。


これは彼自身が自分から述べていたことなのだが、相手をよく見て、反応を予測して会話を上手く誘導していく……というのを癖づけているらしい。相手がどう出るか、相手がどう思うか、最善を模索する為に、シミュレーションを沢山重ねるのだそうだ。その予測が素早く行えるのは素直に凄いことだと思う。
生きてきた中で後天的に獲得したスキルなんじゃないかなあ、というのが私の見解。違うかもしれないけど。でも、相当苦労したんじゃないかと思う。それは間違いなく優しさの眷属だ。私が向けられた気持ちと原稿で発狂していたが故に、ズタボロに傷付けてしまった、彼の盾の部分でもあるのだろう。私はそれを破りかけた。

でも、私は問いかけたかった。あなたの中でシミュレーションを行っている時に現れていた私は、本当の私だった?
それは限りなく本物に近かったかもしれない。でも、それは、「本当の私」だった?
人生の主体を自分自身に置いている私にとって、彼の思考は、全く新しい価値観だった。同時に、他者を主軸として会話をしようとする彼の心が目も当てられない程にボロボロであることにも気付いた。
言動は優しいように思える。でも、それは、あなたが心から望んでやっていることなのか?
演出でも偽りでも構わないけれど、その方法は、本当にあなたを救うのか?
本当は、どうしたいの?


あなたは私と相対して何を思っただろう。それを言いたいと思うだろうか。
でも、話したくなければそのままでいい。好きにしていいんだ。もうちょっと自分中心で考えて自分自身をどんどん出していった方が人生は楽になると思うけれど。カウンセリングもやっていた恩人である数年前の上司氏が、私にくれたアドバイスである。受け売り。

そう……「僕がどうしたいのか聞かなかったですしね」というニュアンスの一文を投げられた。手元にある。
聞いてほしかった、受け止めてほしかったことがいっぱいあった……違う、あるのだろうと、今更ながら思う。
ただ、うん、うん、と頷いて、そうっと抱き締めるだけでいいのだろうか。
或いは洒落の利いた返事ができれば尚よいのだろうか。
そもそも、本当に私でよかったのだろうか。
どうして私だったのか。
どうして私を好きになったのか。理由は言って貰ったし、理解はできたけれど、今も「わからない」。
「わかりたい」。
でも私は彼じゃない。指先だけでも溶け合えたら或いは少しはわかったかもしれないけれど、不可能だ。
それだけが本当に悔しい。私は彼になれない。それが悲しい。

私が阿弥陀如来であれば解決した問題である。せいぜい弥勒菩薩の見習いの見習いの見習いレベルである。申し訳ない。
こんなことを言っても仕方がないのだけれど言いたくなる。真に主語が大きいとはこういうことだと思う。下らない話である。

私は、本当に大切なもの……己自身と己の言葉を、こうやって差し出すことしかできない。
忘れないように、色んな人に思い出してもらいたいから、こうやって誰でも見えるところに書いておく。


色々な人から言われるけれども、私はどうやら、ふんわりと物事の本質を掴み取るのが得手らしい。そうして、隠れている「本当に大切だと思われるもの」を容赦なく引きずり出して白日の下に晒すというのが、自分の創作によく現れている。そういう自覚がある。
でも、私がそんなことをしたら、今度こそ、色々な人を巻き込んで、周囲の皆の心が焦土と化し、色々な意味で草も生えない更地になるだろう。やってやってもいいけれど、というか寧ろやりたいけれど、彼の心が死んでしまうかもしれない。私はそれを望んでいない。

少しでも彼の心が救われることを願ってやまない。
それをするのが私であるなら、尚、よい。
そうしたい。
どうしたらいいのだろう。

……私、Sirdiannaでこんな感じのやりとりを書いたな。


まだ時間をおいても、間に合うだろうか。
どうか間に合ってくれ。

手放したものを取り戻した時

一昨日ぶっ壊したキッチンの水栓をまるっと取り換える為、午前は両親と業者の方の来訪を受けた。それまでちょっと暇だったのでピアノを弾いていた。
午後はうっかり昼寝をしてからWeb小説を2本ほど読み、手持ち無沙汰になった夕方、手慣らしにラヴェルの中から何か手に馴染んだ曲を弾いてこようと練習室へ。ちょっと興が乗って、かつて最高潮に腕がのっていた時にサロンコンサートで弾いた曲……ラフマニノフの前奏曲を引っ張り出して譜面を読んでみたら、これがまあ面倒なことこの上なかった。勇壮な船が海原をゆくような印象を与える第二番。高校生の私はどうしてこんなものが弾けたんだろうと思いながら、今の私は途方に暮れている。ここまでの力を取り戻せるだろうか。答えは一つ、やるしかない。因みに「鐘」は大好きだ。
大好きなドビュッシーのアラベスク二曲やベルガマスク組曲は、少しずつ指が回るようになってきた。此方の攻略もせねばなるまい。ベルガマスクとベルガリアードってちょっと似ているような気がする。
しかし、正しく弾けば弾くほどに成長を感じられる「楽器」というものは、とても良い相棒だ。誰かに披露する機会があれば、なおさら良い。ブランクは開いてしまったけれども、幼少期から十二年間にわたってクラシック一本で多少専門的な訓練を受けていたのは、大いなる幸運だったと思う。


ところで、棚の中の楽譜を漁っていたら、十代の頃に作詞作曲した歌を発見した。

歌詞案1

歌詞案2

今作っているものの方が言葉選びは洗練されているのは明らかだけれど、コンセプトが変わっていないのがミソだと思う。再会を信じる明るい別れネタ率の高さが異常。私の根幹が何ら変わっていない証明である。きっと変わらなくていいところだと思う。
黄色い紙にうっかり書いた方はどんな旋律を付けたのか全く解読できない。しかし、十年前の私には音符で書くという行為をして欲しかった。十年後の私がちょっとリライトしてネットの海に放流したいと考える可能性をまるっと無視している。
取り敢えず今は数日前にできた曲の伴奏を考えたいのだ。


……こういうことをしていると、気を紛らわせているだけなのかもしれない、痛々しい傷に向き合って治そうとしていないんじゃないか、と、私の中で何かが囁いている。
だけれど、これは必要な事なのだ、という芯のある声も、同時に聞こえてくる。
己の心を癒すものは多ければ多いほどいい。自分の中で「これは練習したらうまくできる、或いはできていた」と思えるようなことがあってよかったと思う。多すぎて手が回っていない気もするけれど。

「する」が「できた」になった時。
それは己を肯定し、生きる糧となる。
前を向いた時に生まれる勇気や愛や力が、私の中に「他者への思いやり」を生み出す筈だと信じている。

どうやら私は立ち上がることができたらしい。もうすぐ歩けるようになるだろう。考えていたよりも早かったかもしれない。
そうしたら、最後の仕上げとして、京都の安井金毘羅へ参ろうと考えている。

音楽の再開

ピアノを練習している時に、ふと横の楽譜棚の上にあったリコーダーが目に留まった。
吹いたら凄く楽しかった。
そして昨日、ケルト系の音楽を吹いてみたいと思った。
Amazonで検索したら千円でそれっぽい笛が買えるじゃないか。

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そういうわけでティンホイッスルを始めた。これはD管。
ちょっと慣れてきたらC管も欲しい。
これは完全に自慢なのだけれど、五歳からピアノを習っていたおかげだろう、小学校三年生で与えられたリコーダーをその日のうちにサクッとマスターした私だから、穴の少ない笛が吹けないなんてことはないと思っている。
人に聴かせられる程度には上手くなりたい。幸い、練習という行為は己の身体に馴染んでいるので、後は研鑽あるのみ。

トラッドとかその辺の楽譜も欲しいなと思っていたらとってもいいサイトを見つけた。

ケルトの笛屋さん
https://celtnofue.com/

聴いたことある曲の楽譜がいっぱいある!
というか寧ろ多すぎる。全部網羅する……のはちょっと気力が足りないかもしれない。

何せ今の私は身体の周りにやりたいことが大量に積まれている状態だ。放置されたままのプロットは十本を超えたし、書いている途中の物語は四本あるし、ピアノはやりたいし、最近作った歌のピアノ伴奏だって方向性が定まってきたから打ち込みたいし、次の公募もあるし、描きたい絵の構図も脳内に幾つか展開されているし、積読は死ぬ程あるし、なんて言ったって十一月に控えている文フリの準備があるのだ。
本当は落ち込んでいる時間などないのである。畜生めである。私が怒りを覚えるのはそういう時だ。というか冷静に考えたら八月頭からずっと何かへの怒りが共に在ったような気がする……漠然とした生と世界への不満が、ここにきてターゲットを見付けてしまった、といったところだろうか。そうして、その隙間で申し訳なさとどうしようもなさに襲われる。この全てを上手く相手の望む愛情に変換する機構が、どうやらおかしくなってしまったらしい。
吐きどころがTwitterじゃなくてブログになっただけじゃないかって自分でも思うけれど、それでも、長文にしたためることで冷静さを獲得し、Twitterで吐くよりも心の整理がきちんと出来ているような気はする。

取り敢えず、壊れかけた変換装置が直るまで、まだまだ時間が掛かりそうだ。十三年前も時間が解決してくれたような気がする。多分二ヶ月くらいだったかな。
文フリでは復活していると思う、もうちょっとだけ成長した状態で。

ベルガリアード物語再読完走・感想

夕食を料理している際にキッチンの水道栓を思いっきりぶっ壊して、バキッっという凄まじい音を聞き、それによってさまざまなものに対して嫌気がさしたのだけれど、まだ自分の中に冷静なものがちゃんと残っているので、それを総動員して、再読了したものの感想を覚えているうちに書き留めておこうと思う。
因みに料理していたのはシチュー。

ベルガリアード物語を最初に読んだのは2011年から2012年の間だったと思う。ちょうど大学生の時だ。
だがしかし、今の私は7年前に読んだこの面白い物語について、面白かった、ということしか覚えておらず、詳しい話を人と出来る程内容に関して読み込んでいたわけでもなかったので、それが心苦しかった。もしかしたら、ペルディード・ストリート・ステーションとミストボーン・トリロジーのショックで感動が薄れていたのかもしれない。だけれど、Twitterのハッシュタグで本を挙げるときには、どうしてか、必ずベルガリアード物語を入れたくなるのだ。自分でもよくわからなかったけれど、冒険ものファンタジーとして相当楽しんだんだろうということはわかっていたから、内容を思い出したかった。
そして、最近話題にしている件の彼に再読を勧められたということもあって、関連作一式を中古で買い揃え、予言のの守護者に手を付けたわけだ。

現在の私の状況が大いに反映された感想となっているので「あっ(察し)」などと思う箇所などもあると思うけれど一笑に付して欲しい。


……件の彼が私の話を聞いてくれるかどうかに関しては、全くもって自信がないので、敢えてこっちに独白として放流しておく。
本当は彼と感想を語り合いたかったのだけれど。自業自得である。
というか、マロリオンとか上世代の話に手を付けてしまうと、ベルガリアード本編の感想を忘れてしまう気がしたというのもある。


私は普段、本を読む時は文字だけをひたすらとっとことっとこ追っていくのだけれど、途中から大切なことを忘れそうだということに気付いて、三巻からは、付箋を貼りながら読んでいった。
一巻と二巻は何も貼っていない。
因みに五巻を読んでいる途中、ページがばらけて落っこちた。見れば背表紙に折り目が付いていて、糊の劣化していたその箇所から十数枚が綺麗に剥がれたようだ。流石中古である。勘弁してくれ、メモパッドじゃないんだからさ。

芳醇で豊か、奥行きのある美しい文章。解像度の高い世界に刻まれる人々の想いが、時に鮮やかに、時に陰鬱に、緻密に描写されている。どうして忘れていたのだろうと思った。こんなにも美しく明るい希望を抱いた物語だったとは。ストーリーラインは非常に分かりやすい。ただし張り巡らされた仕掛けは非常に多い。多分それが大事なのだと思う。
ガリオン少年だけでなく、少年少女の成長物語として、私はこのファンタジイを二周目も大いに楽しんだ。
しかし、ガリオン少年は聡明である。やっぱり物語の登場人物というのは作者に引きずられるのだろうか……と思ったりもするけれど、世界がそうさせているというのもあるのだろう、と思えば納得はできる。現代の十代よりも中世の十代の方が精神的に大人であったという話をいつかどこかで見たような気がするけれど、この世界の文明レベルを考えると、そのようなものなのかもしれない。
セ・ネドラは釘宮女史ボイス。これは大いに頷ける。というかそれ以外に思い付かない。
因みに私の脳内で、ガリオン少年は朴璐美女史→浪川大輔氏のイメージだった。声変わりに言及がなかったような気がするけれど私の読み落としだろうか。これは三周目に行かなければいけないような気もする。
登場人物の中でいっとう好きなのはシルクとマンドラレンである。前者については、その秀逸なキャラクター造形。機知に富み、そこかしこで散々やらかし、かなわぬ恋を抱く、業の深さ。後者は見ていて圧倒的に気持ちの良い性格。
直情的なレルドリンも、あちゃあと頭を抱えつつも憎めない人物のように思う。どうも私は、そういう人間くさい……というか、面倒なところに惹かれるらしい。面倒くさいのが好きなのだ。生きづらい世の中である。

「ミスター・ウルフ」という表記が、ある時を境に「ベルガラス」に変化するのがとても好きだったり。
ガリオンの視点からの描写だったからこそ、尚更である。




以下は、私が付箋をつけていた箇所。引用祭り。
特に気に入っている台詞が多い。あと気になったこともある。


・三巻六十一ページ:ダーニクの台詞
「素直になってください。思っていることだけを言ってください。言ってることと思ってることが違うというのはよしましょうよ。かれにはそんなことは通用しません」

ここで出てくるかれとはガリオンのこと。私も同じ精神性……というか他人に対してそういう希望を抱きがちな人間であるので、大いに頷いてしまった。私に変な小細工は逆効果である。

・百五十九ページ:ダーニクの台詞
「笑うことで、おまえがそこにいるのはわかってるけど、とにかく先に進んでやるべきことをやらなければならないんだということを、恐怖そのものに知らせてやるんです」
「それも意味は同じだと思います。ひとは誰でも恐怖とつきあう自分なりの方法を見つけださなければならないんですよ。私個人としては、笑うほうが好きですね。なんとなく性に合ってるんですよ」

ダーニクの台詞は彼が一般人の善人であるからこそ響いてくるものがある。

・百七十三ページ:ウルフの台詞
「いや、そうじゃない。魔術自体には良いも悪いもない。魔術をどう使うかをおまえに決定させるのは魔術ではないのだ。たしかに、やろうと思えばおまえは魔術を使ってどんなことでも――いや、ほとんどどんなことでも――することができる。お望みとあらば、山脈の頭をことごとく平らにすることもできるし、木を逆さに植えたり、全ての雲を緑色にしてしまうことも可能だ。だが、おまえが判断しなければならないのは、それをするべきかどうか、ということだ。できるかどうか、ではない」

できるかどうかじゃなくて、やる、っていうこと、塾講師時代に、担当していた子に何度も言った記憶がある。別の講師に「厳しいなあ~」と評されたことも。私の今のモットーでもあったり……

・二百四十八ページ:ポルおばさんの台詞
「愛にはいろいろな表現方法があるのよ」

忘れたくないことである。

・第四巻二十九ページ:ポルおばさんの台詞から始まる一連について
「あの男はもはや存在しないわ」と彼女は答えた。「かれを形づくっていた物質さえ消えうせてしまったのよ」

……「なくなれ」という魔術を行使しようとして、己が身に跳ね返って消えてしまったクトゥーチクのことを語るくだりである。しかし、存在が消えてしまっても、登場人物たちはクトゥーチクについて語ることができるのだ。この時間軸においてこの時から「存在していない」けれども、その前に「存在していた」ことは、真実として世界に固定されているのだろうか?

・七十八ページ~七十九ページ:ダーニクの台詞
「長い目で見れば、ありのままの自分でいるのが一番いいのさ。自分をそれ以上に見せるのも、またそれ以下におとしめるのもよくない。私の言っていることをわかってくれるかな」

ダーニク率が高い。これも好きな台詞。私をよく知る人は私がこれを好いている理由を察せると思う。

・百六十九ページ:地の文
後には打ち捨てられたガリオンの花だけが残った。斜面に風から守られ、冬の日ざしでわずかに暖められ、かつてはこの世に存在しなかった小さな花は静かに成長のきわみに達し、実を結んだ。やがてその核である小さな果実が破れると、撒き散らされた微細な種子は、冬枯れの芝草を通して凍った大地の上にまかれ、そのまま春をじっと待っていた。

非常に美しい情景描写。これは、五巻で伏線として綺麗に回収される。

・二百八十六ページ
「あなたにはわからないことよ、ガリオン」そう言うなり彼女はガリオンに腕をまわして、思いきり抱きしめた。

ポルおばさん。どうしてか心に響く。

・三百八ページ
「誰だってみんな淋しいのよ」おばさんはガリオンを引き寄せながら言った。「わたしたちはほんの一瞬ふれあっては、またすぐに離れていくのよ。今にあなたにもわかるわ」

ポルおばさん。ポルおばさんの台詞は、考えるよりも感じたい。

・三百四十三ページ:タイバの長台詞
「あたしにもわからないのよ」途方にくれたような声だった。「本当のことを言ってあなたがそんなに魅力的だとは思わないわ。ラク・クトルを脱出してから、あなたよりもっと魅力的な殿方にだってごまんとお目にかかっているわ。たしかに最初のうちはわざとあなたをいらいらさせたり、怖がらせたりするのがおもしろかったの。あたしはそれを楽しんでいたけれど、やがてそれだけじゃないことがわかったのよ。もちろんあたしの言っていることはむちゃくちゃだわ。あなたにはあなたの、あたしにはあたしの生き方というものがある。それでもあたしはあなたといっしょにいたくてたまらないの」彼女はここで言葉をとぎらせた。「レルグ、どうしても答えてほしいことがあるのよ――どうか嘘を言わないでね。あなた本当にあたしがどこかへ行ってしまって二度と戻ってこなければいいと思ってるの?」

今の私に一番響く台詞だった。理由は言わずもがな。

・三百四十四ページ:ガリオンと、彼の心の中に棲む声
(でも、あの二人がいっしょになったら不幸になることは目に見えているじゃないか)ガリオンは非難するように言った。
(そんなことは問題にもならん。あの二人が一緒になることは宿命なのだ。もっともこの件に関してはお前の見込み違いだぞ。確かに初めのうちはいろいろ葛藤があるかもしれないが、それさえ克服すれば二人は幸せになるだろう。宿命に従えば、必ずそれなりの応報はあるのだ)

今の私に一番響く第二弾。タイバとレルグは正反対の者という設定がつけられているけれど、現実にあてはめてみても、そういう希望を持って、信じて、人と接していけたら、どれだけ困難が待ち受けていたとしても……と思ったりする。私は。

・三百五十ページ:ポルおばさんの台詞
「じっさいは、それほど大変な事じゃないのよ、ガリオン」彼女は言った。「あの人たちの抱えている問題は、どちらかといえば家庭内の小さなことに限られているのよ。国事を揺るがすほどじゃない問題に頭を悩ますのはなかなか楽しいことよ。どちらにせよお客様は歓迎するわ――たとえ理由が何にせよ」

これだけ余裕を持って生きていけたら楽だろうなあと思ったり。

・四百三十七ページ:地の文
ガリオンは突然ドアが開かれたような気がした。シルクの言っていることは当たっていた。かれ自身はそんなふうに考えたことはなかったが、たしかにベルガラスには冷酷な男という風評がつきまとっていた。人々はこの永遠なる男に、ある種の冷徹さを感じ取っていた。余人には理解しがたい目的のために、すべてを犠牲にして邁進する姿がそうした印象を与えていたのである。だが今回の同情にもとづく行為は、かれの別の顔、すなわち柔和な性格をあらわにした。魔術師ベルガラスは人間の心や感情の動きに決して無関心なわけではなかったのである。七千年にもわたって見聞きし、耐え忍んできた恐怖や苦痛が、いかに老人の心を傷つけてきたかを思ってガリオンの胸は激しく痛んだ。かれは新たな心からの尊敬の念をもって祖父を見直していた。

……素晴らしいベルガラス評だと思う。

・四百三十九ページ:地の文
沼地でのできごとはガリオンにいろいろと考えるきっかけを与えた。かれは同情もまた愛の一部なのだということを知り始めていた――愛というものはこれまで考えていたような狭い意味のものではなく、もっと広く深いものだったのである。愛という言葉には、ひとめ見ただけでは、およそ関係ないと思えるようなさまざまなことがらまで含まれていたのだ――中略――非常に複雑ではあるが、人間らしい男の顔を。

この一連の文章も好きなところ。ベルガラスのシリーズを読めばわかるかなあ。

・五百六十七ページ:セ・ネドラとポルおばさんの会話
「ああ、レディ・ポルガラ。わたしはまだガリオンに愛してるって言ってないのよ。一回でもいいから愛してるっていうためなら、わたし何だってするのに」
「かれはちゃんとわかってるわよ、セ・ネドラ」
「でも言葉に出していうのとは違うわ」

本当にかわいいツンデレである。しかし、言葉に出して言うことの大事さよ。そして難しさよ。

・六百五ページ
王女はついに恋の前に屈した。

この一文の破壊力。いつか真似したい。

・第五巻百三十七ページ:内なる声さん
(なぜならそれは言われねばならないからだ。言葉はすべてのできごとを決定する。言葉がそのできごとに限界を定め、具現化するのだ。言葉がなければこれらのできごとは、行き当たりばったりの偶発事に過ぎない。それこそがおまえたちが予言と呼ぶものに与えられた意図なのだ――行き当たりばったりのものから、真に重要なものをより分けることが)

私も、なるだけ前向きに、限界を定めないように言葉を選んで垂れ流しているつもりだけれど、もう少し見直してみる方がいいのかもしれない。因みに私は「べき」とかいう言葉を忌み嫌っている。それは個人の尺度を押し付ける醜さの発露なのではないかと思ってしまうからだ。そういう言葉を使う人は得てして救いがたいどうしようもなさを抱えていたりする。そういうところに惹かれやすい私も、とんだ厄介者である。
ちなみにこの付箋が張ってあるページはバラけたところである。

・五百七十三ページ:アダーラの台詞
「センダリア人が慎み深い国民だということはよく知っているわ。でも相手がセ・ネドラじゃ、通用しなくてよ。このさい、なじみの習慣は忘れて、ちゃんと言葉に出した方がいいわ。やっただけの価値はあるはずよ。私を信じてちょうだい」

これだ。件の彼が「ちゃんと言葉に出した方がいい、ってベルガリアードにもあった」って言いながら私に囁いてきた諸々を思い出した。
しかしそれはその時だけの真実であったらしい。
だが、私はまだ何も諦めてはいないのだ。ここからが本番ではないか。何も人生が終わったわけではないし、連絡手段が完全に断ち切られたわけでもないのだ。そうだろう?


長々と引用をつけて感想を少しずつ述べた。
これからはのんびりマロリオンに取り掛かろうと思う。
しかし、最高にくそったれなのは、マロリオンの背が分厚すぎて、ブックカバーが意味をなさないことである。

解像度の話

その日毎に、私の心に去来する「感情という名の種族の客人」は変わる。昨晩から今に掛けては労り、であるが、昨日の朝は強烈な怒りと殺意だった。一昨日の最初は戸惑いと悲しみ、その次は情熱と思いやりだった。その前は誰だっただろう、希求と焦燥、そして渇望だったろうか。忙しいことこの上ない。応対をするのは非常に困難である。
おまけにそれらすべてが特定の一人へ向かっているのだから始末に負えない。

ふと、自宅のフローリングとトイレが非常に汚れていることに気付いて、掃除用具を調達するべく、買い物に出た。

かつて幼かった私が毎日歩いて通った小学校への道を歩くのは帰郷して三度目くらいだったような気がする。住宅街の細い道を抜けて、小綺麗な新しいアパートと今にも崩れそうな木造の辛気臭いアパートが混在しているのを不思議な気持ちで見る。小さな森のようになっている深い用水路の闇を左に眺めながら水の殆ど流れていないことを察した。やがて線路の脇の歩道に出る。二十年前は誰かが管理していたから、歩道と線路の間にある土の領域には色とりどりの花が植えられていたのだけれど、今はもうただ雑草が生い茂るだけの殺風景なスペースになってしまっていた。エノコログサが、ただ、涼しい風に揺れていた。小学校の近くの、十歳そこらの時に景色の中に存在していたマンションはまだ健在だった。でも、だいぶん老朽化しているように感じる。もうまもなく撤去されるであろうと思われるものが多い。
建築物も植物も変わる。けれど、線路と道は変わっていなかった。

ドラッグストアへたどり着くまでに小学校がある。まごうことなきわが母校。
その横を通りがかったら、何と、今日が運動会だったらしい。子供たちの声の裏に聞こえてくる音楽は、松任谷由実の春。なんでだよ。季節外れにも程がある。どちらかというと今は秋と呼んで然るべき時だ。しかし晴れて良かったと思った。ちょうど昼時だったので、校舎の周りで家族と一緒に食事を取る子供たちの姿が見えた。今時にしては珍しく、その校門は開放されていた。
どうやら今も、紅白対抗戦をやっているようだった。私が在校していた時……最初の2年かそこらは赤白青の三色対抗戦だったのだけれど、それを知っている人はいるのだろうか。或いは子供たちの家族であるのなら周知のとおり、なのかもしれない。子供の数が減ったせいである。私の知っている恩師はもう残っていないだろう……高校二年生で友人と訪れた折に、知る人はたったひとりしか残っていなかった。
ウサギとニワトリがいた小屋は跡形もなかった。それは前から知っていたけれど。
地元紙に幾度か掲載されたビオトープも今はない。
でも、敷地の形は、何も変わっていなかった。

一気に涼しくなったからだろうか、あんなに濃かった夏の緑の匂いは薄れてきている。
薄曇りの中に僅かにちらつく空の青さが季節の移り変わりを感じさせた。夏は終わったように思える。天気予報では来週からまた暑くなるらしいけれど、どうだか。

気が付いたらドラッグストアで弁当箱とまな板と箸を買っていた。やっぱり私は生きるつもりらしい。
気が付いたらスーパーに寄っていた。食材を買った。荷物の重たさが嬉しい。
たとえ拙くとも、この手で何かを作ろうとしている、その事実がここにあった。歌、物語、演奏、料理、なんでも。

外に出るのはいいことだ。
故郷の景色への複雑な味をした愛情が、抱いているそれら……かわるがわる私の心に訪れる客人を全て包み込んで赦していく。十三年前の酷い失態の際も、秋の空の美しさに抱いた気持ちに、私は救われたような気がした。
終わった夏を思う。世界の解像度がどんどん増していく。十八歳で故郷を離れてからずっと、どこか浮ついて寄る辺なかった私の中の何かが、あるべき場所へ填まったような気がする。まるで正しい錠前と鍵のように。

それもこれも彼がそこにいたからだ。
彼の言葉が私の世界を変えた。今も変えていく。
私の心は、何周も何周もくるくるくるくる回って、その底から何か大事な……感謝に似たものを吐き出そうとしている。

京都にいた時も、東京にいた時も、ひとりでぼんやりとしながら、このまま穏やかに心が死ぬのをじっと見守っていくんだろうか、と何度も思ったものだった。
けれど、今、私はこの十年で一切合切失っていたものを、徐々に取り戻し始めている。

自分の癒し方

日常からいとしいものをたくさん発見していきたいと思う、己のその心をいとしく思います。

今日は少し早く終わる土曜出勤だったので、ついでにと思って、ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝を映画館で観てきました。
十数年ぶりのハーバーランド。子供の頃に母に連れられて歩いた道であるはずなのに、覚えているのは、噴水のあるエスカレーターと、何時間見ていても飽きない転がる玉の大きな装置がある広場。umieってなんなんだ。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンは以前から気になっていたのですが、先週土曜日に決心がついて、1クールぶんを一気に観ました。何もかもが刺さり過ぎてずっと泣いていた記憶しかない。だから外伝も観たくて劇場へ足を運んだというのもあります。
文章として表現できるような私の感想は他の人が代弁してくれていると思うので、敢えて沈黙しておこうと思いますが、ひとつだけ……ラストシーンのエイミーの笑顔が、私は大好きでした。
初見でも大丈夫だと思いますが、1クールぶん全部観てから行った方が、より、あの世界の解像度が上がると思います。

観終わった後は夕方になっていたので、ふらっと歩いて、ジ・アレイでタピオカミルクティーを買って、飲みながら、例の広場で小さい子供たちにまじって、飽きない装置を眺めていました。鉄琴の涼やかな音が響く仕掛けが一番好きです。
タピオカってもっちもっちしてて結構おいしいですね。あと、小さい頃に飲んだミルクティーが超絶マズすぎてずっと苦手だったんですが、大人になったからでしょうか、どうしてか、美味しく飲めるようになっていました。今度はもうちょっと違う味にチャレンジしてみようと思います。何気に、タピオカミルクティーを専門店で買って飲むのは初。

そうして、ミルクティー部分を先に飲み終わってしまって容器の底に残ったタピオカをちまちま吸い込み咀嚼しながら帰路につこうとしたのですが、ふと左を見ると、噴水のあるエスカレーターの下で、カワイのグランドピアノが一般に解放されていました。
ロマン派からコピー譜のポップスっぽいもの、何かの伴奏、習いたての可愛らしい曲。
誰かの演奏を聴くのは、とても楽しいものです。
私がピアノを習っていた頃は、一音でも間違えると、母にどやされたものです。その対象は私だけではなかった。誰かが音を間違えたりつっかえたりしても、母はそれを詰りました。そして、私と比べてどうこうと批評をしました。腑に落ちない何かをいつも感じていて、私は母に褒められても、嬉しいと思ったことがありませんでした。
でも、あの場所にはそういう無粋さは表出していませんでした。誰かが勇気を出して雑踏の中で音を鳴らしている、それだけで、私は嬉しいと思ったのです。
だから、私も勇気を出して、一曲だけ弾いてみました。ドビュッシーのアラベスク第一番。
もう散々でした。自宅のピアノと全く違う鍵盤の軽さ、きっちり調律された美しい音、人前でたったひとりで弾くのが十数年ぶりという事実、手が譜面を覚えているとはいえ弾きこなせているとはいいがたい状態、震えまくる指。ミスまみれ。暗譜している音が吹っ飛ぶ始末。
それでも、ちゃんと音が鳴る、大きなよろこびを、感じずにはいられませんでした。
衰え切ったこの手に再び力が舞い戻ってきつつあるのを実感しました。
拙い演奏をしながら、大好きだったものを、沢山思い出していました。
とてもしっかりした拍手の音が、何よりうれしかったです。

私は、己の手で産み出した何かを、届けずにはいられないんだろうなあ、と思いました。
思っていたよりも、己自身が、表現して発信する人間として育ってきたみたいです。

11月の半ばくらいまで、ピアノは解放されているそうです。
期間が終了するまでに、リベンジをしに行きたいです。

だめです。だけど歩いていきます。

先日書いたような、危惧していた通りの行動をして、危惧していた事態に陥っています。
本当にどうしようもない。
折に触れて、十数年振りに、人に向かって手紙を書きました。届いた後がものすごく怖いけれど、それでも溢れて止まらなかった言葉を綴りました。これでまた何かが変化すると思います。取り返しのつかないことになるかもしれません。

そう思ってしまうのは、十代の頃より積み重ねてきた自信のなさ故でしょう。
私は彼女たちの言葉に、自分一人で向き合うべきだったのでしょう。でもできなかった。
自分の傷を抉りかえし、心のままに言葉を流し続け、優しくて繊細な相手を酷く傷つけ、怒らせてしまった。そんな状態でも理性的に会話をしてくれるような人に、私はとんでもないことをしていた。
もうだめかもしれない。

オンオフ問わず、現在懇意にしている人たちの中に、ここを見ている人は一人もいないだろうから、敢えて使える場所になっているような気がします。盛んに呟いていたTwitterをここ数日お留守にしているのですが、私がいないことで変化するものと変化しないものがあるので、興味深いなと思いました。



8月に突如降ってきた新作の準備をしています。
私はまだ生きる気です。でも当分誰かの目につくような場所で何かを発信する気力はありません。タイムラインは時々追っています。
自分の発言が一切消えていて、透明になっている状態が限りなく清々しいと思っているのです。
そう、私がいなくても世界は回り続ける。
でも、答えは出ています。私がいないと私の人生は動かない。

もし全てがダメになっても私は血反吐を吐きながら歩いていくつもりです。